noNameの考える「支援」とは―児童相談所・公的機関との連携によるnoNameティーンおよび保護者さまのサポート事例から

2026年の春、私たちはある家族とその周囲へのサポートにおいて、我々の支援観を真っ向から問われる経験をしました。
公開するか否か、代表2名で何度も議論を重ねましたが、社会における私たちの存在意義や活動の目的に鑑み、当事者のプライバシーに配慮したうえで「私たちにとっての支援とはなにか」という切り口で、お伝えすることといたしました。

記事中には、少々ショッキングな事情が含まれます。
苦手な方はトップページその他に引き返してください。

目次

ケースの概要

noName -cafe for teens- にも来てくれている、noNameティーンのAさん。
Aさんの保護者Bさんから、AさんとのかかわりやAさんのご兄弟とのかかわりについて、代表2名が相談を受けていました。

Bさんにつながっている社会資源が少ないことやBさんご自身の心身への負荷が高まっており、福祉の立場からの専門的介入が必要と判断した結果、ソーシャルワーカー大庭と一対一での面談もしていました。

「自分ひとりでは、もう抱えきれない――」
「私は母親として、失格なんだ」
そう言いながら涙をこらえきれないBさんに、児童相談所へ一緒に相談に行くことを勧め、その計画を立てていた矢先でした。

Aさんがお友達のおうちに逃げ出すということがあり、
私たちもご相談を受けたり、公的機関と連携したりしながら、事情により、Aさんの一時保護が決定したのです。

その後、Bさんとも面談を重ね、一時は水分補給や食事もままならないほどになったため、受診にお付き添いしたこともありました。入院しなければならない状況にも陥ったAさん。
「母親失格だ」と自分を罰するような発言がありながらも、必死にAさんを迎えに行きたいと、もがいていたのです。

その後、児童相談所の方にバトンをお渡しし、Aさん・Bさんの保護やケアが続いています。

第3の選択肢は、邪魔なのか

細かい事情を書き連ねることができないため、
ここからは、私たちの感じたことや価値観について綴りたいと思います。

10代ともなると、自我が芽生え、はっきりしています。
どんなに表現することが苦手な人であっても、自分の思いをもっているものです。

そして、親・保護者もまた、人間です。
自分の思いはあるし、我が子との相性だってあります。

けれども、日本社会で生きているかぎり、「育てること」への責任が保護者には伴います。
10代の人の思いだけでは、意思決定できないこともたくさんあります。
選択肢を与えられたとしても、「知らされていない第3の選択肢」が存在することなんて往々にしてあります。
その「第3の選択肢」を、大人も子どもも与えられないことがこんなにもあるのだと痛感したのが本音です。
あっけらかんとした顔で「こんな選択肢もありますよね」と口にすると、公的機関の方から「口を挟まないでほしい」と諌められた瞬間もありました。

あり得る選択肢をすべて網羅することは、時として人を混乱させます。
けれども、2択で迷っていて答えが出ないとき、ジレンマに陥っているときに、
「そうではない道もあるよ」と知らせる役割を担っている私たちは、やりきれない思いを何度も抱えました。

「待ってくれない」社会

また、「とにかく待ってもらえないのだな」とも感じてきました。

人生を揺るがす大きな決断。
いま、考える余裕も気力も判断力もない人に、期限を決めて「ここで決められないのならNGの判断をします」と突きつけること。

公的なもの、しくみ化されたところには、ある程度の期限や仕切りが必要です。
noNameも組織ですから、組織としてのしくみや仕切りは設けられています。
けれども、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人に、その日までに決めなければ死ぬ、というわけではない話について
「決断を待てない」「決められなければあなたはNGだ」と自分が言われたら――

あなたは、どう思うでしょうか。

その現場に対峙した大庭は、「それなら死にますね」と思いました。

人って、簡単に死んでしまう生き物です。
寂しくても、おなかがすいても、希望を失っても、死んでしまう生き物です。

「行政が悪い」と言いたいのではありません。
そうするしかない、ということもたくさんあるのです。

民間の組織である私たちが、その仕切りからあぶれてしまった人たちに手を差し伸べる役割を担うのだろう、
そして、公的機関とのハブになるのだろう、と、改めて襟を正したところです。

失敗しても、自分で決めること

今回私たちは、保護者であるBさんにある意味酷なサポートを行いました。

私たちがBさんのかわりに生きていくことは、できません。
利用できる資源のご紹介をするにしても、Bさんの持っている力を奪わないこと。
Bさんが、これから先をご自身の足で生きていけること。
それを最後まで貫きました。

甘えたい気持ちもあるでしょう。
「大庭さんだったらどうする?言われたとおりにする」
「武蔵さんこれやってよ……」

きついよなあ、と思いながら、断りました。

相談できるはずのご家族がいるのに、相談しないこと――

実は、大庭は実家と疎遠です。
「鬼電」が鳴る時期をこえて、連絡すらこなくなりました。
私の場合は事情があって逃げているのですが、
相談しないのは怠慢だ、と言ってしまうと、自分自身の古傷も痛みます。

それでも、関係性を考えたときに、相談できる、むしろ頼ってほしいとさえ思われているようなご家族も、たくさんあります。
福祉の領域では、そのような「頼れる先」も、ご本人の強みと捉えて “strength” と表現されます。

もしも、ご家族に相談して、受け容れられなかったら、
また私たちに相談してみてほしいこと。
同席もするし、コミュニケーションデザインからすること。
それを、伝え続けました。
ご家族の未来も、私たちには代行できないのです。

「受援力向上」のためのnoNameのお手伝い

大庭のように相談できない事情がある場合にまで、家族を頼れとは言いません。
けれども、最も近い距離にあるはずの家族を頼ることを諦めてほしくはなく、ご家族の関係再構築のお手伝いも、行っています。
それでも無理なときは、あります。
しかし、最後まで「自分でもがいた」「コミュニケーションを諦めなかった」という経験は、人生において大きな財産になるものです。

ご家族以外にも、頼れる相手がいる場合もあります。
その場合もまた、頼り方を間違えると、居場所を失うことになりかねません。

社会で生きるために必要なもののひとつが「受援力」(サポートを受ける力)。
言葉の壁、認知の壁、コミュニケーションスタイルの壁、価値観の壁――
私たちの関係性には、いくつもの壁があります。

それらを踏まえても、誰もが「サポートを受ける力」を身につけることができると、私たちは考えています。

手を差し伸べてくれる人も、人間です。
してもらうがままに、甘える、受け取ることも素晴らしいことでありながら
「してもらいっぱなし」も、いつか糸が切れてしまいます。

言葉がなければ、助けを得られないでしょうか。
いいえ、そうではありません。
そして、受援力は「人」だけではなく「社会」に備わるものです。
その両輪があってこそ、支援が成立します。
赤ちゃんがじっとものを見つめるその姿や、ただ泣いている姿が愛おしいと感じられるように
「表現すること」と「感じ取る力」で、受援力は備わるものです。

表現することも、感受性も、余裕もなければ、受援力は失われます。

「社会」というステークホルダー

支援の現場ではとにかく「本人」とか「家族」と言われます。

それ以外の人の権利や気持ちまでは、組織的対処において配慮しきれない、ということも、
今回たくさん経験しました。

けれども、noNameにとっては、
社会すべてがステークホルダー(重要な関係者)です。
「ステークホルダー」というと、利害がなければ無関係と思われるかもしれません。
わかりやすい利害がなくても、みえなくても、どんなに遠くても、私たちは社会全体とつながり、関係しあっています。

しらない誰かに育てられ、名前をつけられ、広報され、パッキングされ、検査され、運ばれ、お店に並べられて、レジを打ってもらったお米を、食卓にのせるように。

しらない誰かが発明して、設計図を書いて、より速くと競わされ、より安全にと究められ、使い方を何度も何度もたしかめられ、遠く遠くから燃料を調達され、いったいいくつあるのか途方に暮れるほど材料を集められ、美しく心地よいインテリアに仕立てられ、見たこともないプライマーから何層も塗り重ねられ、運ばれ、どうやったらここに入るのかと思う方法で展示され、ローンを組まれ、保険をかけられて、そういえば免許も求められて、毎日標識と信号と歩道と対向車線をたしかめながらも、乗る車のように。

もちろん、つながりの強弱はあります。
それを踏まえてもなお、社会全体を俯瞰する立場でありたい、というのが私たちのスタンスです。

「Aは最近どうしてんのかなぁ」
「Aがまた来たらさ~」

noNameティーンたちは、無邪気に言います。

最初の保護先のお友達。
カフェでいつも会う仲間たち。
同級生。
地域の大人たち……

それぞれの人に、Aさんとのかかわりがあり、気持ちがあります。

また、私たちも人間です。
プロとしてかかわる以上、トレーニングも受けてはおりますが、
Aさん・Bさんの仲間として、ひとりの人間として、傷つきます。

「私たちの担当はここまでだから、この人のことには関与できない」

連携のなかでそう言われたとき、
わかってはいたことで、責める気持ちもありませんが、
なにかが心のなかで切れてしまったものでした。

それでも、毎日朝が来て、夜が来て、
会いたい人に会いたくて、
ごはんを食べたらおいしくて、
明日はなにがあるかなあと、希望を持ちながら眠る――

人は、ひとりでは生きていけません。
どんなに小さくて、ささいな日常でも、社会とつながっているのです。
だから、私たちはこれからも、「社会」をステークホルダーに活動していく。
そう改めて心にきめた、経験でした。

noNameは、必要に応じて、いつでも公的機関や地域の方と連携してまいります。
そして、私たちにしかできないことを、これからも実直に、続けてまいります。

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